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| 1950年代に活躍したアルゼンチン生まれのレーシング・ドライバー、アレッサンドロ・デ・トマソ。彼の興した会社が、ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェに並ぶスーパーカーメーカーの「デ・トマソ」である。 「パンテーラ」は、バレルンガ、マングスタに続くデ・トマソの3番目の生産車として、1970年4月のニューヨーク・ショーで発表された。コードネームは、「デ・トマソ351」。イタリア製のボディ/シャシーにフォードのV8エンジンを搭載するという、異色のスーパーカーとして注目を集めた。ちなみにパンテーラは英語ではパンサー(豹)のことであり、北米ではフォードのリンカーン・マーキュリー販売店がディーラーになった。 開発を指揮したのは、ジャンパオロ・ダラーラ。若くして、フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、ランチアなどで活躍した人物であり、スーパーカーの起源ともいえるミウラのシャシーも彼の設計である。バレルガをベースとしたマングスタと違い、北米市場を狙ったパンテーラの設計にはコンピュータが多用され、鋼板ファブリケートのモノコック構造という、当時のイタリアン・スーパーカーに一歩先んじたハイテクノロジーが採用された。また、シャシーの生産性やメンテナンス性の向上が大幅に図られる一方で、前後ともウイッシュボーン+コイルのサスペンションに、セッティング調整の幅を持たせるなど、レーシングマシンを得意とするダラーラらしいものとなっている。 オールスチール製のボディ制作は、カロッツェリア・ギアが担当。実際にパンテーラをデザインしたのは、イタリア在住のアメリカ人、トム・チャーダである。デトロイト生まれの彼は、ジウジアーロが独立した後の、ギアのチーフデザイナーだった。ちなみに、彼の父もカー・デザイナーであり、リンカーン・ゼファーなどのデザインで知られる、ジョン・チャーダである。デザインに個性がないという人もいるようだが、スーパーカーとしては25年という異例のロングセラーを見ればわかるように、飽きの来ないシンプルな美しさが魅力だ。 パンテーラは、コンパクトなボディに、5796ccもの大排気量を誇る351CID フォードV8 OHVエンジンをミッドに搭載。ZF製5段ギヤボックスと組み合わされ、縦置きされている。前後のオーバーハングを切り詰め、エンジンルーム内にスペアタイヤを収納するなど、2515mmのショートなホイールベース内に重量分を集中。ボディ前後にトランクルームを配するというレイアウトは、ミッドシップカーの中でも秀逸といえる。最高出力は330psで、最高速度は265km/h。排出ガスなどの規制が厳しい当時、それに対応しつつ、スーパーカーとしての性能は充分に確保されていた。なお、最高出力330psは欧州仕様の数字である。北米仕様には、280psをベースに、310psと330psのオプションが用意されていた。 生産が始まったのは1971年だが、早くも1972年にはラグジュアリーモデルの「パンテーラL」が追加される。実際には北米の安全基準対策モデルであり、北米仕様は265psまで最高出力がダウン。北米での販売台数は、71年が1008台、72年が1975台と、目標の4,000台にはおよばないが、当時のスポーツカー市場では驚くべき数字だった。 しかし、スーパーカーゆえモア・パワーを望む声が多く、1973年3月のジュネーブ・ショーで350psの高性能モデル「パンテーラGTS」が発表される。市販されたときは300psに変更されたが、ギアレシオが見直され、タイヤ/ホイールは太いものになった。外観上は、このモデルから腰から下がマットブラックにペイントされ、ツートーンになったことが大きなポイント。スーパーカーブーム当時、前後にスポイラーを装着し、ブラックのボディカラーにゴールドのストライプでアクセントを入れた「GTSスペシャル」があったが、あれは例外だろう。 GTSが登場してすぐに、北米仕様に5マイルバンパーが装着されるようになった。インテリアもこの頃から、新しいものに変更されている。 同じ年、グループ4カーが6台作られ、レガッツォーニをワークスドライバーに起用し、いくつかのレースに参戦して話題を呼んだ。そして、そのグループ4カーをモチーフにした「パンテーラGT4」が、市販される。フロント10インチ、リヤ13インチの幅広のタイヤとホイールを履き、オーバーフェンダー、フロント・スポイラーなどを装着し、まさにレーシングカーの雰囲気が漂うモデルになっている。スーパーカーブーム当時、日本にもレッドとシルバーの2台が上陸。レッドは、現在も日本ある。 突然の石油ショックにより、3,000台規模にまでふくらんでいた北米での販売台数は、74年に572台に激減。安全基準への対応などの問題もあり、フォードは1974年8月でパンテーラの販売から撤退することに。以降、パンテーラは欧米中心の展開に切り替わざるを得なくなった。 1975年頃から、フロントフードにエア抜けのグリルが追加された。 1980年、「パンテーラGT5」が登場。GT4をベースに、フロント・スポイラーを拡大し、リヤ・ウイングを装着されるなど、ますますその迫力がアップした。 1984年のトリノ・ショーには、さらに進化した「パンテーラGT5S」が登場。フロント・スポイラーの形状が変更され、リヤ・ブレーキのためのエアインテークが新たに設けられた。オーバーフェンダーも後付けタイプではなく、ブリスタータイプになり、ボディと一体化された。ちなみに、この頃の生産規模は、年間50台に満たなかった。 そして、1990年のトリノ・ショーで、マルチェロ・ガンディーニがリデザインした「ヌオバ・パンテーラ」が発表される。基本ボディやメカニズムは四半世紀前と変わらないが、フロントウィンドウ前のスポイラーやバンパーと一体化したスポイラーなど、ガンディーニならではのアイデアが随所に盛り込まれたアクの強いスタイルに仕上がっている。また、エンジンも351のV8エンジンではなく、最新の道路事情に合わせ、4942ccのマスタング用302CIDV8エンジンに変更。キャタライザー付きで300psを発揮するなど、デ・トマソ創立30周年を記念した限定モデルにふさわしいスペックになっている。 |